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岡山地方裁判所津山支部 昭和62年(ワ)182号 判決

原告

光石文子

ほか四名

被告

田中政己

ほか一名

主文

1  被告らは、各自、原告光石文子に対し、金八四一万八三九七円、原告光石幸子に対し、金三三三万四一九八円、原告光石吉伸に対し、金三三三万四一九八円、原告光石一成に対し、金五〇万円、原告奥西幸枝に対し、金五〇万円、及び右各金員に対する昭和六三年六月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一〇分し、その六を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

4  この判決の第1項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは、各自、原告光石文子に対し金三二七五万四一三〇円、原告光石幸子に対し金一二九九万一六四五円、原告光石吉伸に対し金一二九九万一六四五円、原告光石一成に対し金二〇〇万円、原告奥西幸枝に対し金二〇〇万円、及び右各金員に対する昭和六三年六月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

昭和六〇年四月一日午前八時一〇分ころ、岡山県英田郡作東町川北六九二番地国道上において、光石元久(以下「元久」という)運転の普通乗用自動車(岡五六め二七八五)に、被告田中運転の大型貨物自動車(鳥一一か一九一七)が追突する交通事故が発生した(以下「本件事故」という)。

2  責任原因

被告田中は、前方不注視の過失により本件事故を引き起こしたものであるから、民法七〇九条により、被告会社は、被告田中運転車両の保有者でこれを自己のため運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法三条により、いずれも本件事故により生じた人身損害を賠償する義務がある。

3  元久の受傷と治療経緯

元久は、本件事故により、頸椎頸髄挫傷、第二頸椎弓部亀裂骨折、外傷性頸腕症候群の傷害を受け、後頸部から両肩部への強い鈍痛、放散痛及び両手指の強いしびれ感等知覚異常等の症状を呈し、昭和六〇年四月一日、岡山県英田郡美作町の美作中央病院に通院し、同月四日から同年五月二七日まで、兵庫県佐用郡佐用町の藤綱病院に入院し、同月二八日から同年八月一七日まで同病院に通院し、同年八月一八日から同年九月三〇日まで同病院に再入院し、同年一〇月一日から昭和六一年四月五日まで同病院に通院して治療を受けた。

右期間の入院治療日数は九八日、通院治療期間は二七〇日(通院実数七八日)である。

4  元久の死亡

元久は、昭和六一年四月七日午後四時三〇分ころ、岡山県勝田郡勝央町曽井五四一番地の原告光石一成方納屋で、自ら首を吊り、頸部圧迫による窒息のため、死亡した。

5  元久の自殺と本件事故との因果関係

(一) 元久は、本件事故前、光和電子株式会社で取締役工場長として稼働していたが、忍耐強く、温厚円満な努力家で、精神的にも肉体的にも全く健康であり、家庭、職場での人間関係も極めて良好であつた。

元久は、前記のとおり入通院して薬物療法、理学療法等の治療を受けたが、前記知覚異常、頑固な肩凝り、握力減退、視力減退、気分不快等の症状は一向に改善されなかつた(昭和六〇年五月二七日に第一回目の退院をしたが、これは被告田中に心配をかけることを苦にしたものである)。

(二) 元久は、右手の震えのため、字を書けないばかりか、箸を正確に口許に運ぶことも出来ないことが多く、握力減退のため湯飲みも握れないことがあり、真冬でも右腕から多量の発汗が続き、食欲も著しく減退して体重も減少し、視力も事故後わずかの間に三回以上眼鏡を作り直さなければならない状態で、記銘力の減退も著しく、子供ともあまり話をしなくなり、事故前はよく見ていたテレビも見なくなり、趣味の盆栽も全く顧みなくなる等、何事にも興味感心を示さなくなり、ただ荘然自失して時を過ごすことが多くなつた。昭和六〇年五月から翌六一年四月までの一年近く散髪をせず、常に首に包帯を巻いており、死亡直前には顔色青黒く、生気もなく、著しく衰弱していた。

(三) 昭和六〇年一〇月一日ころ、元久が西山施術所で初診を受けた際、施術者において、「ようこんなんで自殺せずにおれたなあ。普通の人ならとつくに自殺しとる。」などと発言したこともあり、同月ころ、元久は、勤務先の代表者らに対し、「入院通院で治療して来ましたが、今だ良く成りません。此以上病気に堪える事が出来ません。人には言うことが出来ない苦しみです。」などという遺書を書いたが、これを発見した原告光石文子の必死の哀願に応えて泣きながら闘病継続を誓つたことがあつた。

(四) 昭和六一年四月七日の自殺当日、元久は早朝出社したが、午前七時ころ、原告光石一成方を訪れ、仕事上の書類の口述筆記を依頼したが、その際自分で首にコルセツトを装着しており「今日は特別具合が悪く、朝から飲まず食わずだ。」「手が震えて字が書けない。」「頭がふらふらして文章が浮かんでこない。」「今日五時までに博愛治療院に行きたい。明日は藤綱病院へ行くから送ってくれ。」などと言つていた。

この自殺当時、元久は遺書を準備した形跡もなく、右のとおり直前まで自殺を考えていた形跡もない。

(五) 以上の経過によれば、元久は、本件事故による受傷が誘因となつてうつ病に罹患し、右うつ病のために発作的に自殺したものとしか理解できない。

(六) 右のとおり、元久の自殺はその事由意思によるものではなく、本件事故のために罹患したうつ病の結果であるから、右元久の死亡と本件事故との間には相当因果関係があるというべきである。

6  原告らと元久との身分関係

原告光石文子は元久の妻、原告光石幸子、同吉伸は元久と原告光石文子との間の子(元久死亡当時それぞれ一九歳、一七歳)であり、原告光石一成は元久の養父、原告奥西幸枝は元久の実母である。

原告光石文子、同幸子、同吉伸は、それぞれ二分の一、四分の一、四分の一の割合で、元久の権利義務を相続している。

7  元久の損害

(一) 治療費 金二九三万七七七〇円

(二) 入院雑費 金九万八〇〇〇円(一日一〇〇〇円)

(三) 通院交通費 金一七万五四八〇円

前記藤綱病院への通院(七七日)、昭和六〇年一〇月一日から昭和六一年一月一四日までの間の六五日の西山施術所(鳥取県郡家所在)への通院及び同年一月一七日から同年四月五日までの間の五六日の博愛治療院への通院のため、右額を出捐した。

(四) 休業損害 金四二〇万円

元久は、光電子株式会社に勤務し、一か月三五万円の収入を得ていたが、本件事故により昭和六〇年四月二日から昭和六一年四月七日まで一二か月以上の休業を余儀なくされ、少なくともその間の収入四二〇万円を失つた。

(五) 死亡による逸失利益 金三五五〇万六三八〇円

元久は、死亡当時五〇歳であり、六七歳まで一七年間稼働可能で、生活費控除を三割、その間の中間利息を年五分の新ホフマン係数により控除すると、その得べかりし利益は三五五〇万六三八〇円と計算される。

三五万×一二×一二・〇七七×〇・七=三五五〇万六三八〇

(六) 慰謝料 金一七〇〇万円

死亡までの入通院中の慰謝料は一〇〇万円を下らない。

死亡による慰謝料は、一六〇〇万円を下らない。

8  右損害の填補 金七九五万一〇五〇円

被告らから、右7の(一)の治療費金二九三万七七七〇円とその他五〇一万三二八〇円の合計金七九五万一〇五〇円の支払いを受けた(これを控除した残金額は金五一九六万六五八〇円となる)。

9  元久の請求権の相続

原告光石文子、同幸子、同吉伸は、前記割合で右元久の請求権を相続した。

10  原告光石文子の損害

(一) 葬儀費用 金一〇七万〇八四〇円

元久の葬儀費用としては二三二万四三〇〇円を要し、これを原告光石文子が支出したが、その一部請求である。

(二) 弁護士費用 金五七〇万円

原告光石文子は、原告ら全員のため原告ら訴訟代理人に報酬として請求金額の一割を支払う旨約した。右額は金五七〇万円を下らない。

11  原告光石一成、同奥西幸枝の損害

前記のとおり原告光石一成は元久の養父、原告奥西幸枝は元久の実母であり、同人死亡による右原告らの精神的苦痛を慰謝するには、各金二〇〇万円が相当である。

12  よつて、原告らは、被告らに対し、請求の趣旨記載の各損害賠償金の支払いをするよう求める(付帯請求は、本件事故及び元久死亡後の遅延損害金である)。

二  請求原因に帯する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3のうち、元久受傷の事実は認めるが、治療の経緯は知らない。

3  同4のうち、元久自殺の事実は認める。

4  同5の事実経過は知らない。元久の自殺と本件事故との相当因果関係は争う。

交通事故の後遺症の影響で被害者が自殺した場合、自殺による損害は特別事情による損害にあたり、予見可能性がなければ、加害者にその賠償責任はない。本件事故について、右予見可能性はなかつた。

交通事故による受傷及び後遺症と被害者の自殺との間に因果関係が肯定されるためには、受傷及びその後遺症が、被害者に対して自殺以外を選択する余地を与えない程度に決定的原因を与えた場合、換言すれば、当該状況下に置かれれば、一般人であれば誰もが自殺を選ぶであろうと認められる場合であることを要すると解すべきである。本件では、元久は、一旦は職場復帰できる程度に回復し、事故後一年以上も経つてから自殺したものであるから、右場合に該当しないことが明らかである。

5  同6の事実は認める。

6  同7のうち、(一)の治療費は認め、その余は争う。

7  同8、9のうち、損害填補、相続の各事実は認める。

8  同10、11は争う。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから引用する。

理由

一  前提事実

請求原因1(昭和六〇年四月一日の本件事故の発生)、同2(被告らの責任原因)、同6(元久と原告らの身分関係)、同9(元久の請求権の相続)の各事実については、当事者間に争いがない。

二  元久の受傷と治療経緯、並びに元久の死亡

以下に掲記の各証拠と弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  元久は、昭和六〇年四月一日の本件事故当日、美作中央病院で受診し、同月四日、藤綱病院で、頸椎頸髄挫傷、第二頸椎弓部亀裂骨折の診断を受け、同日から五月二七日まで入院治療を受けた。右入院当時の症状は、後頸部から両肩部への強い鈍痛、放散痛及び両手指の強いしびれ感等の知覚異常であつた。右症状は一進一退を続け、経過は不良で、退院後も同月二八日から八月一七日まで、同病院で通院治療を受けた(以上甲六ないし八号証)。

2  元久は、同年八月五日、右病院で外傷性頸腕症候群との診断を受け、八月一八日から九月三〇日まで同病院に再入院し、一〇月一日から翌昭和六一年四月五日まで、同病院に通院し、注射、内服、理学療法等の治療を受けた(右通院の中止は、同月七日の元久の死亡による)。その間、元久の前記症状及び右上肢、手指のしびれ感は持続し、ほかに作業意欲、日常生活への意欲も減退し、精神的にも不安定な状態が認められ、昭和六一年二月ころからは、同病院の診察時においても、体力低下、言葉の減少、気力の低下が強く感じられるようになつた(以上甲六ないし八号証)。

3  元久は、前記藤綱病院への通院と並行し、昭和六〇年一〇月一日から翌昭和六一年一月一四日までの間は西山施術所で、同年一月一七日から四月三日までの間は博愛治療院で、はり・きゆう等の治療を受けた(甲一二ないし一九号証)。

4  元久は、昭和六一年四月七日午後四時三〇分ころ、養父である原告光石一成方納屋で、自ら鴨居にロープをかけ、頸部圧迫による窒息死の自殺を遂げた(元久死亡の事実は当事者間に争いがない。甲五号証)。

5  元久は、本件事故前、身体的、精神的異常はなく、光和電子株式会社の取締役工場長として稼働し、妻及び二人の子と健全な家庭生活を送つており、仕事上、金銭上、その他特段の悩みを抱える状態にはなかつた(河股しか恵の証言、原告光石文子本人尋問の結果)。

6  元久は、仕事一途で責任感が強く、几帳面で忍耐強く、献身的、良心的性格であつて(河股しか恵の証言、原告光石文子本人尋問の結果)、右性格は、精神医学的にはいわゆるメランコリー性格に分類される(忠田正樹の鑑定の結果)。

メランコリー性格は、「きちんとした秩序の中で他人に尽くすことを通して、負い目を持たないことにより自分の精神安定を保とうとし、これが崩されそうになつた時、高頻度にうつ状態が引き起こされる。」といわれ、精神医学的にうつ病に非常に親和性が強いと認められている(右鑑定の結果)。

7  元久は、第一回目の退院(昭和六〇年五月二七日)後、六月初めころから出社するようにはなつたものの、前記第一回目入院時の症状等を訴え、ずつと首に包帯を巻き、杖をつく状態で、出社しても顔を見せる程度で、実際の仕事に携わることはなかつた。第二回目の退院(同年九月三〇日)後は、一一月ころから再度出社するようになつたが、前記症状に加え、握力の低下、記憶力の低下等を訴え、日に日に衰弱の様子が見受けられた。もつとも、元久は、このような状態の下でも、折りに触れては出社し、身体の不調を訴えては早退する等を繰り返していた(以上甲二八ないし三一号証、河股しか恵の証言)。

8  元久は、家庭にあつても、特に昭和六〇年八月一八日からの第二回目の入院時以降、食事も満足にとらず、テレビや趣味の盆栽にも興味を示さなくなり、両肩、右手の鈍痛や時々の激痛、握力、視力の低下、不眠、更には記憶力の低下等を訴え、次第に衰弱し、散髪や着替え等の身の回りにも無頓着となり、ただ無為に座つている等のことが多くなつていつた(原告光石文子、同幸子本人尋問の結果、甲二七、四二号証)。

9  昭和六〇年一〇月ころ、元久が遺書をしたためていることが発見され、このときは妻原告光石文子の懇願により、闘病を続ける、自殺はしない旨を誓つた。右遺書(甲二五号証)には、社長あてに、会社に対して迷惑をかけたことのわびと、病状が回復せずこれ以上耐えられないことが記され、続いて父母あてに先立つ不幸をわびる言葉、最後に妻あてのわびの言葉と父母子供の将来を頼む旨の記載がなされている(甲二五号証、原告光石文子本人尋問の結果)。

10  昭和六一年四月七日の自殺当日、元久は、午前七時ころ、養父の原告光石一成方を訪ね、調子の悪いことを訴えたが、当日午後五時からは博愛治療院に行く、明日は藤綱病院に送つてほしいと述べ、自殺を決意しているそぶりはなかつた(甲四一号証)。

しかし、元久は、前記のとおり、右四月七日午後四時三〇分ころ、原告光石一成が農作業に出ている間に(甲四一号証)、納屋で首を吊り、自殺した。

三  元久の自殺と本件事故との因果関係

1  前記認定の事実関係に忠田正樹の鑑定の結果を総合すると、元久は、本件事故により頸椎頸髄挫傷、第二頸椎弓部亀裂骨折の傷害を受け、外傷性頸腕症候群に罹患し、藤綱病院での二回の入院治療、その間、その後の通院治療、更には西山、博愛でのはり・きゅう治療等でも症状が改善しない(外傷後相当時間が経過したにかかわらず、様々な身体的愁訴が長期にわたつて続く「外傷後症候群」に該当すると推定される)ことから、重篤な反応性うつ病に罹患し、周囲へ迷惑をかけているとの自責的思考、心理的には追い詰められた視野の狭小化、未来への閉塞感、絶望的な無力感等が増強し、自殺に到つたものと認められる。

2  もつとも、元久の受傷部位は頸椎頸髄部であり、甲一〇号証によれば、少なくとも藤綱病院での脊髄症状検査では、上肢(右手部)に明白な知覚障害が認められる他には、上下肢の運動機能障害も認められない状態であつたと認められる。これに加え、元久は、前記のとおり症状をおして出社し、遺書でも会社へ迷惑をかけたことを第一に記載している事実が認められる。右各事実に前記鑑定の結果を総合すれば、元久の身体的後遺症、反応性うつ病罹患及び前記心理状態での自殺については、その生来の性格等素質的要因の寄与した割合も大きかつたことは明らかといわなければならない(原告光石文子は、西山施術所で、「よく自殺せんでおつたな。」などと言われたと供述するが、それは、右素質的要因も加わつた結果である元久の衰弱状態を見ての発言と認められる)。

3  交通事故の被害者が、これによる受傷ないしその後遺症を苦にして自殺するということは、もとより通常の例ということはできない。

しかしながら、事故による受傷部位、程度ないしその後遺症が極めて重大である場合には、被害者が前途を悲観して自殺することはあり得ることであつて決して予見不能な事態ということはできない。また、受傷部位、程度ないしその後遺症が極めて重大であるとまでいえない場合であつても、事情によつては、被害者がうつ状態に陥り、その結果として自殺に到ることも、極めて稀で想像外の事態とまでいうことはできない(かような事案についての訴訟が希有の例でないことは顕著な事実である)。

右うつ状態、これによる自殺が、被害者の特異な素質、環境、従来の生活歴等に起因する場合には、結果として、事故と自殺との因果関係が否定されることがあり得るといえるが、これを本件についてみると、前記のとおり、元久の反応性うつ病罹患、これによる自殺は、同人の素質要因の働いた部分も大きいとはいえるものの、同人の素質要因が特異なものであつたとは認められないし、環境等の点で、右状態を誘発する特別の要因があつたと認めることもできない。そうすると、元久の自殺は、その素質要因が寄与していることは明らかとしても、主としてその結果であるとはいえず、本件事故と右自殺との間に法律上の因果関係を肯定することができると解すべきである。

4  もつとも、自殺の場合、程度の差はあれ本人の選択にかかる面のあることは否定できないし、とりわけ本件の如く、自殺を誘発した反応性うつ病の罹患、自殺への心理的動機付が、被害者本人の素質的要因にも多くをよつている場合には、法律上の因果関係を肯定するにしても、自殺による損害の全部を加害者側に負担させることは相当ではなく、事故が自殺に寄与した割合に応じてその負担を命ずるのが相当である。

本件の場合、前認定の諸事情を総合すれば、自殺による損害のうち、本件事故が寄与した割合は、これを二五パーセントとみるのが相当である。

四  損害額の認定

1  元久の死亡までのもの(合計金八四一万一二五〇円)

(一)  治療費 金二九三万七七七〇円

当事者間に争いがない。

(二)  入院雑費 金九万八〇〇〇円

藤綱病院への九八日入院分。一日当たり金一〇〇〇円をもつて相当と認める。

(三)  通院交通費 金一七万五四八〇円

甲二一号証の一ないし三、弁論の全趣旨により認める。

(四)  休業損害 金四二〇万円

元久は、光和電子株式会社から月三五万円の給与を得ていたところ、本件事故後の昭和六〇年四月三日から翌昭和六一年四月七日まで、欠勤し(前記のとおり、時折出社はしていたと認められるが、勤務に就いたといえる状態になかつた)、四二〇万円の休業損害を受けた(甲二三号証)。

(五)  死亡までの入通院期間に対応する慰謝料 金一〇〇万円

前認定の受傷の程度、これによる入院、通院期間等に照らせば、右額を下回ることはない。

2  元久死亡によるもの(合計金一四一二万六五九五円)

(一)  逸失利益 金八八七万六五九五円

元久死亡当時五〇歳、月収三五万円、一七年間稼働可能、その間の生活費控除を三割とし、中間利息を年五分の新ホフマン方式で控除し、前記のとおり死亡についての本件事故の寄与率を二五パーセントとすると、次のとおり逸失利益額は金八八七万六五九五円と計算される。

三五万×一二×一二・〇七七×〇・七×〇・二五=八八七万六五九五

(二)  葬儀費 金二五万円

葬儀費として金一〇〇万円をもつて相当と認め、前記のとおり本件事故の寄与率を二五パーセントとして右額を算出する。

(三)  死亡慰謝料 合計金五〇〇万円

(1) 元久の慰謝料(原告光石文子、同幸子、同吉伸相続分)

右の分としては、前記本件事故の寄与率をも勘案し、金四〇〇万円をもつて相当と認める。

(2) 原告光石一成、同奥西幸枝の固有の分

右の分としては、前同様寄与率をも勘案し、各金五〇万円をもつて相当と認める(甲四号証によれば、元久が原告光石一成の養子となつたのは三〇歳になつてからであると認められるが、甲四一号証によれば、同人と同原告の行き来は密で、単なる戸籍上の関係ではないと認められる)。

五  損害の填補、弁護士費用、相続等

1  本件事故による損害の賠償として金七九五万一〇五〇円の支払のあつたことは当事者間に争いがない。

右額を前記元久死亡までの損害額金八四一万一二五〇円から控除すると、その残額は金四六万〇二〇〇円となる。

2  前記元久死亡による損害中、葬儀費については原告光石文子が負担し、本件についての原告らの弁護士費用も、同原告が負担する約定となつている(弁論の全趣旨)。

右弁護士費用としては、本件事案の内容、審理経過、認容額等を総合し、金一五〇万円をもつて相当と認める。

3  前記元久死亡までの損害の残額金四六万〇二〇〇円と、元久死亡による損害中、右葬儀費及び前記原告光石一成、同奥西幸枝の固有の慰謝料(各金五〇万円)を除いた金一二八七万六五九五円との合計額である金一三三三万六七九五円を相続分で按分すると、原告光石文子につき金六六六万八三九七円、同幸子、同吉伸につき各三三三万四一九八円となる。

六  まとめ

以上の次第で、原告らの本訴請求中、原告光石文子につき金八四一万八三九七円(前記六六六万八三九七円に葬儀費二五万円、弁護士費用一五〇万円を加算)、原告光石幸子、同吉伸につき各金三三三万四一九八円、原告光石一成、同奥西幸枝につき各金五〇万円、及び右各金員についての本件事故後であり、かつ、元久死亡の後である昭和六三年六月二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いも求める部分を認容し、その余の部分を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小島正夫)

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